七条さんの唇は、冷たいように見えてとても熱かった。 首筋を滑る乾いた唇。 耳元に囁かれる低い声。 熱い吐息。 俺を翻弄した長い指。 そして。 身体の奥まで入ってきた七条さんの熱い欲望───。 何度も抉られ、何度も奥まで突き上げられた。 一晩たった今も、身体の奥が熱を持ち疼いている。 昨夜の出来事が再び脳裏を駆け巡り、まるで血が逆流でもしたかのように全身が熱くなる。 学校の屋上での嵐のような一夜を思い出すだけで、身体がぞくりと震えた。 ああもう。 俺は今朝からこんな調子で、階段で転びそうになったり移動教室を間違えそうになったりと、踏んだり蹴ったりだった。 授業の内容はもちろんのこと、今日一日の何があったか誰と喋ったかなんてことは殆ど覚えていない。 すっかり、頭の中が七条さんでいっぱいになってしまっている。 生まれて初めてのこの恋に、俺はかなり翻弄されていた。 「…くん? 伊藤くん?」 突然目の前に七条さんの顔のアップが現れて、心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。思わず体が仰け反ってしまう。 「ははいっ!」 自分の頭の中の七条さんが現実になって現れたのかと思ったけれど、そんなことが起こるわけがない。 我に返って、ミニテーブルの上にノートを広げている状況を見て、ようやく一緒に宿題をするために七条さんに来てもらっていたことを思い出した。 昨日の今日で、七条さんと顔を合わせるのはすごく恥ずかしかったけれど、そんなことは微塵も気にしていない様子の七条さんは、放課後教室までやってきて、「今日は会計の仕事もありませんし、一緒に宿題でもしませんか?」と誘いにきた。 突然の会計部補佐の出現に、教室に残っていたクラスメイトも、驚いていたようだった。 学年も学力も全く違うのに、一緒に勉強なんて…と思ったのだけれど、にっこり笑いながら是非お願いしますと頼まれて、結局了承してしまった。多分、一緒に宿題をしようって言うのは親切な七条さんが考えてくれた建前で、本当は解らないところを教えてくれるために誘ってくれたんだと思う。 それなのに当人の俺ときたら、昨日のことで頭が一杯で、ぼんやりと七条さんの薄い唇に見惚れてしまうという駄目っぷりだった。 「す、すいませんっ、ちょっとぼんやりしちゃって…」 俺が焦って背筋を伸ばすと、七条さんは心配そうに俺の顔を覗き込んできた。そっと大きな手が伸びてきて、額に置かれると、俺の頬はますます熱を上げてしまう。 「顔が赤いですね。具合でも悪いですか?」 「いっいえっ、ちょっとぼーっとしただけです。暑いのかな、窓開けますね…う、わっ───」 火照る頬を誤魔化すために立ち上がった途端、背後から身体を攫われるように腰を引き寄せられた。不安定な体勢に、思わず七条さんの腕に縋ってしまう。 「し、七条さん…?」 「君は、昨晩のことを思い出していたのでしょう?」 含み笑いをしながら耳を軽く噛まれ、背後から落とされる甘い囁きに、全身がぞくりと震えた。 「昨夜の伊藤くんはとても素敵でした」 まるで昨夜を辿るように、唇は首筋を滑る。 「───っ」 「僕と付き合ってくれると言ってくれて、舞い上がってダンスを踊ってしまいそうなほど嬉しかったですよ。昨日の言葉は嘘じゃありませんよね?」 「う、嘘なんか言いません」 言いませんけど…。 うわっうわっ、舌が耳の中に入ってきたっ─── 「とても嬉しいです。実は今日も心配で宿題を口実にお誘いしたんです」 「え…え?」 口実って…。 「本当に伊藤くんは可愛いですね」 「かっ、からかわないでください」 震える身体を堪えながら振り返れば、蕩けそうな甘い笑みで見返された。 「そんな困った顔の君も素敵です」 「〜〜っ」 「でも、そんなに可愛いと…」 一旦区切ると、更に潜めるような声で耳元に囁かれる。 「僕は際限なく欲情してしまいます。気をつけたほうがいいですよ」 「よ、くじょうって…」 「ほら」 七条さんはくすくす笑いながらそう言うと、更に俺の身体を引き寄せて、腰をぐいと押し付けてきた。 腰に当たるものは、そう…少し硬くなった七条さんの…。 「しっ、しちじょうさんーーっ!!」 パニックを起こし、思わず叫んでしまった。 何だか眩暈がしてきた。もう、どうしたらいいんだろう。 でも、ただ一つわかっていることは、この人は到底俺が太刀打ちできる人じゃないってことだ。 「そうそう。お尋ねしようと思っていたのですが」 「な、なんでしょうか?」 この腕を放して欲しいのに、そのままの体勢で話し掛けてくるから、声が上ずってしまう。 「身体は辛くありませんか?」 「えっ?」 「昨日無理をさせてしまったのではないかと心配だったのです。それなのに、朝迎えに来てみれば、既に君は登校していましたから」 置いてけぼりにされてとても寂しかったです、と悲しそうに言われ全身に冷や汗をかいた。 あんな風に外で抱き合った翌朝、顔を合わせるのがとても恥ずかしかったんです…。 「君は照れ屋さんなんですね。でも、僕たちはお付き合いしているんですから、明日からは一緒に学校に行きましょうね?」 「は、はい…」 「それで身体は大丈夫なんですか?」 「へ、平気ですっ、そりゃ…ちょっとは辛かったけど…」 「じゃぁ、キスしてもいいですか?」 「えっ…」 「キスだけです。駄目ですか?」 じっと見下ろしてくる優しい瞳。 「駄目じゃ…ないです…けど…」 「では、瞳を閉じてください」 七条さんの言葉は、まるで俺の身体を操る呪文のようだ。 蔦が絡まるように、俺の心と身体を縛り付ける。 促されるように身体の向きを変えて、言われるがままにゆっくりと瞼を閉じる。その直後、昨日知ったばかりの薄くて熱い唇が重ねられた。触れるだけのキスだと思っていたら、次第に激しくなり息が苦しくなるほど貪られる。 「…んっ……ふっ…」 腕が背中に回されていなかったら、足に力が入らなくて崩れ落ちていただろう。 「君の唇は本当に甘いですね」 そう言う七条さん自身の甘い声に、全身が痺れそうになった。 「もう少し口を開けてくれませんか?」 「は、はい…」 瞳を閉じたまま、七条さんの声に従う。開く唇の間から七条さんの舌が忍び込んできて、自分のそれを強く吸われた。 七条さんにキスをされるたび、心臓がこわれそうなくらいドキドキして、腕の中いるだけでドロドロに溶けてしまいそうになる。 七条さんはどんな表情でキスをしているんだろう。俺と同じぐらいドキドキしてくれてるのかな。 気になって目をうっすらと開けると、七条さんはしっかりと目を開けて俺を見下ろしていた。キスに溺れた俺の顔はばっちり見られていたということだ。 俺は、羞恥のあまり、七条さんを責めてしまう。 「────ず、るいですっ」 「何がですか?」 「キスのときは瞳を閉じろって、言ったじゃないですか…」 「ええ。言いましたね。実は、僕はとても恥ずかしがり屋なので」 「え?」 「君に見つめられると照れてしまうんですよ」 七条さんと『照れる』と言う言葉が全く繋がらないような気がするのは俺だけでしょうか。 「じ、じゃぁ…七条さんも目を閉じてください」 「それは駄目です。君のすべてを見ていたいですからね」 「〜〜〜っ それって不公平ですー!」 「そうですか? それは気づきませんでしたね」 七条さんに言葉で勝てる訳がない。 そう思っていたとき。 「うわっ…」 突然、世界が反転したと思ったら、背後にあった自分のベッドに押し倒されていた。そして、Tシャツの裾から七条さんの指が滑り込んでくる。 「し、七条さんっ、何を…」 「すみません。僕はまだまだ子どもなので、我慢が足りないようです。あまりにも君が可愛いので、自制がきかなくなりました」 自制がきかなくなりましたって、そんなあっさりとした顔で言うことでしょうか…。それに…子どもはこんなことしないと思いますけど… ───とは、口に出せなかった。 「君を貰ってもいいですか?」 優しくて、時々意地悪で。 「君を味わいたんです。身体の隅から隅まで…ね」 そして、大人のようで子どものような人。 「いいですか?」 「───────は、い」 そんな七条さんが好きなのだから仕方がない。 大好きな人からの口づけを受けるため、俺は再び瞳を閉じた。 2004.07 七啓のアンソロに声を掛けていただいて書かせていただいたものです。 七啓はこれっきりになっていますが、機会があればまた書いてみたいです。 |